1633年20年地下活動を続けた日本人中浦神父が長崎に殉教し、日本のカトリック信者にとって、プロの宗教指導者がいなくなる。1637年島原の乱は事実上、大阪夏の陣後の藩主松倉勝家父子の圧政への一揆。白く輝く島原城の五層天守閣は歴史資料を展示。指導者不在でも信仰の灯を絶さぬためのマリアに擬せた慈母観音像。非合理でも一途なる美を表す。
〒855-0036 長崎県島原市城内1-1183-1
TEL:0957-62-4766
柔らかく暖かな雰囲気、九州・有田の柿右衛門のスタイル。平安時代から和様の花鳥図を題材に、暖色系の色彩で描かき、非対称、乳白色の余白、豊かな構図。 上絵の色には、赤・黄・緑、そして青・紫・金など。 また茶発色のウワグスリで、口縁を飾る。同じ有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷(コクタニ)様式と異なる。
1582年ローマに派遣された少年使節の中浦ジュリアン神父が1621年、ローマの古い知人に宛てた手紙。「信仰のために起こり得る全ての迫害に一身を投じる人々と共に」と書かれる。帰国前の1587年 、秀吉の宣教師退去令、1614年、家康のキリシタン教禁止令。1633年、地下活動を22年続けた中浦神父、長崎に殉教。
〒850-0051 長崎市西坂町7-8
TEL:095-822-6000
どんな困難も乗り越えるし、そのわりに迅速だし、おまけに土地の住民に新たな生きる意志を生むためのロールとツールとルールを提供しているイエズス会士は、日本が信長だ秀吉だ家康だといったその同時代に、まさに複数のザビエルとなって世界を変革していた。
フィリップ・レクリヴァン 「知の再発見」双書
Tags : 島原城天守閣長崎県
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