関が原の戦いのあと上杉家の禄高は1/4に滅封され、1601年、会津から米沢へ一族郎党とともに檜原峠を越えた。1617年越後にあった林泉寺を元に、上杉家の菩提寺当寺を米沢城の南に建立。その庭園は越後春日山麓のごとく、四方の斜面を借景とした雄大なつくり。「不識庵」と名乗った謙信の美意識を庭園がまた伝える。
〒992-0062 山形県米沢市林泉寺1-2-3
TEL:0238-23-0601
中国(北宋・南宋)の皇帝に尊敬された禅僧、圜悟克勤(エンゴ コクゴン1063-1140)が、悟りを開いたと認めた弟子に、与えたお墨付きの書。印可状の前半部分で、最古の現存する墨蹟、禅僧の筆跡。その書が鹿児島・坊津(ボウノツ)海岸に流れ着く。またの名が生まれる、流れ圜悟。 禅の中国への伝来、分派の経緯を述べ、禅の精神を説く。書は破格でも、厳格な修行を経て達した味わい。何があっても、淡々と、—偉大な茶人が愛した書。
当館では「天地人」上杉景勝、直江兼続ゆかりの歴史・文化を紹介し、狩野永徳作の国宝洛中洛外図屏風(上杉本)の原本を 通常春・秋の年2回公開。米沢藩主上杉家に伝来した古文書、国宝上杉文書。謙信は越後統一後川中島へ出兵するにあたり、一族のライバルで姉の主人長尾政景宛に政景出兵参加中の安堵を伝える書状。一族が合い争う戦国時代の武士の現場を伝える資料である。
〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
TEL:0238-26-8001
地理学者だが、神学者で宣教師で本格的なアルピニストであったウェストンは、壮大なヨーロッパの山々ではなく、日本アルプスに憧れをもった。本著は芭蕉のようにその途次の描写をいちいち連ね、黙々と旅をし、リュックを背負って登攀(とうはん)している姿のまま読める。
ウォルター・ウェストン 平凡社ライブラリー
Tags : 山形県春日山林泉寺
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