- 染付山水文輪花大皿(重要文化財)
- 絵陶磁器の原点は古唐津である。短く立上げ口縁部に釉薬をかけず素地を見せ、露胎の口唇部、半透明の釉薬を... 続きを読む
- 肥前名護屋城図屏風 狩野光信筆
- 当作品は豪壮な画風を誇る天才狩野永徳の長男で、下手右京と酷評されても深遠なる奥行きを描いた狩野光信(... 続きを読む
神功皇后が朝鮮半島に赴く際に戦勝祈願で当社に鏡を奉納。紫式部が“松浦(まつら)なる鏡の神”と書き残し、当社の名前はその鏡に由来する。標高284mの鏡山山頂から遠く壱岐まで見渡せ、その先に朝鮮半島がある。神功皇后が朝鮮半島からこの地に戻り、陣痛がはじまり、当社の清水で無事出産したのが、八幡神とされる応神天皇であった。
〒847-0022 佐賀県唐津市鏡1827
TEL:0955-77-3151
乳(ニュウ)は鏡の裏面(背面)のトッキ。トッキをに尾があるものは、獣の形が変形したもの。ニュウをめぐりトグロを巻く龍の長くのびた胴の上に、神像と口に棒状のものをくわえた小獣の形をレイアウト。内円に神像と神獣、外円に飛び回る鳥、走り回る獣が、デザインされる中国の神獣鏡。 その中国の鏡を模倣して作られた鏡(倣製鏡、ホウセイキョウ)。ダリュウは、ワニをモチーフにする。内円は、神像ととぐろを巻く龍が頭を共有し、外円は、僧侶の使うホッス(払子)のように変形する。 ホウセイキョウとして、デザインは精密、鋳上(イアガ)りは上々。 —2世紀末頃北部九州の銅矛(ホコ)、畿内・東海地方の銅鐸が姿を消し、群像を描いた画文帯をめぐらせ、 図像を浮彫し、細い線を使い細密な表現が特徴の画文帯神獣鏡が現れた。