- 染付山水文輪花大皿(重要文化財)
- 絵陶磁器の原点は古唐津である。短く立上げ口縁部に釉薬をかけず素地を見せ、露胎の口唇部、半透明の釉薬を... 続きを読む
- 肥前名護屋城図屏風 狩野光信筆
- 当作品は豪壮な画風を誇る天才狩野永徳の長男で、下手右京と酷評されても深遠なる奥行きを描いた狩野光信(... 続きを読む
「縄文と弥生と重なる遺跡」—非常にユニークな遺跡。 3000年〜2000年前の縄文晩期の稲作跡地の上に、2000年前の弥生時代初めの水稲栽培の跡地がある。稲の品種は中国南部と同じ。古代文明の渡来者はここにきた!唐津市南西部の国内最古級の水耕稲作遺跡である当遺跡、日本の古代文明の始まりを示す。稲は縄文時代に存在し、その晩期には水田があり、弥生時代に畦を作り区画の細部を整え効率性を高められる。そして工具を改良し、生産性を高め、環濠集落が出来て、大規模は拠点集落が出現。やがて大規模な墳丘墓が築かれ各地との交流が盛んになる。末盧館では、縄文時代から黒潮でつながりあう大陸からの稲作の発祥と伝播を、豊富な資料でわかりやすく紹介する。
〒847-8511 唐津市菜畑字松円寺
TEL:0955-73-3673(末盧館)