宮崎県北端の高千穂当地には、神武朝につながる日向三代の宮、高千穂宮が置かれていたと伝わる。鎌倉時代・源頼朝は、畠山重忠を代参として宝物を当社に奉納する。境内に残る奉納品、秩父杉と鉄製狛犬一対 (像高55cm)。銅像に比べて複雑な形の鋳造や、細部の仕上げが困難な鉄製である。鋳造技術の高さには驚かされる。
〒882-1101 宮崎県西臼杵郡 高千穂町大字三田井1073
TEL:0982-72-2413
上杉家から三島大社に奉納された太刀、刀を下げる帯、金属で編む兵庫鎖。 鞘(サヤ)には、漆の上に多くの金粉を蒔き研ぎ出し、デザインを統一の揃い金具に、 銀箔を押した金メッキのつがいの鳥文様を、少し浮かび上がらせ、鍔(ツバ)には、飛ぶ鳥を透し彫り。平安・鎌倉時代に実用の太刀で、のち奉納用として製作される。 古来珍重される太刀の福岡一文字派により、銘は一。
徳川幕府の原型は、鎌倉にある。由比郷鶴岡から現在の地に移された当宮の参道は、若宮大路と呼ばれ、鎌倉の中心をほぼ南北に貫き、京の朱雀大路を模して造られた。鎌倉文化は京を意識するが、公家社会文化とは異なり、仏教や美術も武士や庶民に分かりやすい素朴で質実なものが好まれた。中国・宋や元の禅文化の影響もある。
〒248-8858 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
TEL:0467-22-0315
本書は、源頼朝から始まる幕府を開く将軍は、大和朝廷では「北の有事」に備える軍事総司令官であった歴史を語る。平時の軍は、鎮守府の鎮守将軍が率い、管轄は国府。それが平安末期、木曽義仲が東の頼朝を征夷するために将軍となり、頼朝が逆転し、やがて常時の全国の警察権など権力の支配を朝廷から得て付け加えたとする。
高橋富雄 中公新書
Tags : 宮崎県臼杵鎌倉高千穂神社
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