当宿は江戸時代、日光今市から会津若松を結ぶ旧会津西街道の要衝。道に妻を向けた寄せ棟造りの茅葺き民家が建ち並び水路が走る。心なごむ江戸の風情が今も残る。平安末期、高倉宮以仁王(後白河天皇第三皇子)は源氏と共に平家打倒で挙兵。平家に発覚され討たれたが、実はその窮地の場を逃れ、大内に辿りついた伝承も残る里だ。
〒969-5207 福島県南会津郡下郷町大字大内
TEL:0241-69-1144(下郷町役場事業課)
名高い俳人、与謝蕪村(1716-83)。日本南画—プロの絵師ではない人が描く、文人画を、中国の明、清時代の絵画を学び、独学で描く。 そして池大雅(イケノタイガ 1723-1776)とともに日本南画を大成。 世俗を離れ、気高い生き様をテーマを、日常的な所作や様子で描く。心にさっと、風が吹く。—高踏的を日常的に。
会津若松市の鶴ヶ城は、数多くの戦国大名が治め、戊辰戦争では約1カ月の激しい攻防戦に耐えた名城。文武両道に秀でた蒲生氏郷が、城下町を整備し、天守閣を築城し、鶴ヶ城の基礎を築いた。城内の茶室麟閣。利休七哲の筆頭だった氏郷は、千利休自刃の折、その子少庵を庇護し、千家復興に尽力した。その少庵が氏郷のために造った茶室と伝わる。
〒965-0873 福島県会津若松市追手町
TEL:0242-27-4005(会津若松市観光公社)
全国の領土紛争をめぐる私戦を禁止する「惣無事(そうぶじ)」を宣言し、天皇の意向である「叡慮(えいりょ)」により領土処分権「進止」(しんし)を得たことで秀吉の国家経営システムのシナリオは頂点に達し、朝鮮出兵で瓦解。また朝鮮出兵は陶芸技術と朱子学を残す。
笠谷和比古・黒田慶一 文英堂
Tags : 大内宿福島県
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