当町は、後白河法皇の長講堂領「久美庄」の中心地。 法皇追善供養の阿弥陀如来立像が本願寺に残り、16世紀「丹後国御檀家帳」に「家五百軒斗」と記載。その繁栄の源流を示す函石浜遺跡。西暦8~23年に栄えた中国「新」の銅銭「貨泉」や、勾玉・銅鉄製品の製造所跡も出土した。古代、函石港は重要な交易港だったのだ。
京都府京丹後市久美浜町
TEL:0772-75-1500 (京丹後市観光協会丹後町支部)
ミジカヨロイは、古墳の副葬品で出土し、埴輪などにも見られるモノ。 四角や三角の鉄板や革などの素材を、人間のカラダに合うように加工するコザネは、連続させて頭や胴を守るように、板を合わせ鋲で留める。蝶番(チョウツガイ)で開閉式とする。腰の部分がくびれて現存するのは主に鉄製や金銅製。 同時期には、中国北方遊牧民の騎馬兵のヨロイとかさなる、肩から打ちかけて着用する、ウチカケヨロイ、挂甲(ケイコウけ)もある。 兜の上には、2つの半球形金具を筒状金具で接続。僧侶の使うホッス(払子)のような飾りがつけられた?
古墳時代、島根県花仙山産の碧玉・メノウで作られた玉類が本格的に全国に登場する。上野1号墳出土の大型勾玉はメノウ製、管玉は濃緑色に縞模様の碧玉製であった。当館では、日本一高大な巨大神殿、古代出雲大社本殿の模型や、大量出土の弥生時代の青銅器、豪族を飾った金銀の大刀ともに、出雲王国の成り立ちを紹介する。
〒699-0701 島根県出雲市大社町杵築東99-4
TEL:0853-53-8600
本書が紹介する加耶の諸国は、現在の釜山がある朝鮮半島南部にあった。日本の志賀島に後漢光武帝の金印が届く1世紀に誕生。倭国は交易と鉄を求め加耶諸国と交流し、日本の「謎の4世紀」には、釜山・対馬・北九州を船団が極めて密接に行き交う。加耶を通じ百済・倭国は複合的な関係を築き、7世紀白村江の戦いへもつながる。
田中俊明 山川出版社
Tags : 久美浜京都府
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