長谷川等伯の生地七尾には、古代国府・国分寺が置かれ、中・近世都の畠山文化と北前船が訪れた。また朝鮮の渡来神を祀る熊甲神社「お熊甲祭」がある。当図は、等伯28~30歳頃制作と推定。空海の請雨修法で現れたと伝わる仏を、頭頂部に蛇を金色の龍に換え、右手に三鈷杵の剣、左手に如意宝珠を持つ女形童子に描く。
〒926-0855 石川県七尾市小丸山台1-1
TEL:0767-53-1500
草稿ともいわれて、粗いソクヒツ(速)筆で大胆に描く、閑静で奥深い表現。モヤに包まれ見え隠れする松林に、何気ない風情。 故郷の石川・七尾の海岸とも重なる、息子久蔵(1568-1593)と死別した頃の作品。 等伯(1539-1610)は、師と考え模範として、私淑(シシュク)したのは、中国・南宋、13世紀後半の画僧牧谿(モッケイ)。 自然に忠実たろうとするそのスタイルが、日本で反映された貴重な作品。 近世水墨画の最高傑作。
七尾畠山文化の黄金時代を築く茶の湯の祖、円山梅雪。畠山一族で文明3(1471)年に京都・円山に生まれた梅雪は、和歌、連歌、古典に通じ、陶器、能、書、庭に明るい。妻は法華宗で酒造・金融を営む京都有力町衆柳家の娘で、揃って京・堺の文物・人を七尾に橋渡す。円山一族の支援で等伯も京で活躍。また後に梅雪一族は三代に渡り前田家に仕える。当寺は円山梅雪が創始の法華寺。
〒926-0852 石川県七尾市小島町リ-134
TEL:0767-53-0799
“仏教を広めるためには、神の助けを必要としたのではないだろうか。日本の神を経糸に、仏教を横糸にして織り上げたのが、いわゆる本地垂迹説。日本の自然が私に、そういうことを物語る。”吉野から美濃にひそむ邑沌が滲み出し、存分の気分になる本である。
白洲正子 講談社文芸文庫
Tags : お熊甲祭石川県石川県七尾美術館美術館
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