古来より象頭山中腹鎮座の当宮は、江戸時代幕府の祈願所となり、江戸庶民は競って「こんぴらさん」へ詰めかける。それを実現したのが第10代金光院別当宥存(ゆうぞん)。少年期に京で若冲に師事したと伝えられ、時代の魁となる本モノを見極める目を持つ。表書院5間に、パリでも高い評価を得た、天明~寛政期、円山応挙晩年の障壁画を飾る。
〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892-1
TEL:0877-075-2121
応挙(1733-95)は、写生を重視する。磨いた写生の技を生かした、心に響く構図性と色彩感、装飾的スタイルで、京などで人気。 当時、薬草を始め、実用的な面から博学の興味が高まる。応挙も三十代に非常に多くの写生図を制作する。当時の5帖、すべてが、実物の写生ではないが、 客感的に生を捉える、その筆を持つ手。また、うかがえる。
狩野益信(1625-1694)は、松花堂昭乗に書を学び、狩野探幽の養子となり、黄檗宗隠元導師に明の最新画法「逆遠近法」を学ぶ。ゆえに益信が描く孔雀は、動くかごどく観るものに迫りくる。聖護院は、園城寺(三井寺)の智証大師円珍の流れを継ぐ増誉(ぞうよ)僧正が創建。増誉は白河上皇の熊野詣の先達をつとめ、当寺で全国修験者を統括する。
〒606-8324 京都市左京区聖護院中町15
TEL:075-771-1880
全5巻に計47人の画人が登場。1人あたり40~70頁ずつほどの丹念な案内を、刹那の文章写真のように走ることになる。尾形光琳(1658生)。雁金屋は染め縫いが商いだから、きっと光琳はああいう絵になり、茶事を存分に嗜んでああいう省略が得意になった。
村松梢風 中央公論社
Tags : 金刀比羅宮香川県
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