宮崎県では最初の公立美術館。都城ゆかりの芸術作品を収集し紹介する。当作品は、明治後期から昭和初期に日本画檀を風靡した山水画家の多門が韓国へ取材旅行して険しい岩山を詳細に描いた作品。多門は都城に生まれ、狩野派の中原南渓に師事し、京都に出て四条派の雄・川合玉堂、狩野派の重鎮・橋本雅邦に学び、東京で岡倉天心に高く評価された。受け継がれた技をもって躍動する生のエネルギーを描いた。
〒885-0073 宮崎県都城市姫城町7-18
TEL:0986-25-1447
佐倉藩藩士の子供で花鳥画を学び、文明開化でフランスに留学した浅井。 19世紀半~20世紀前半芸術村が、フォンテーヌブローの森周辺にあった。 若い画家たちは、光の微妙な変化が現れる水辺に写生地を求め、川に面したグレーは、第二のバルビゾン村となる。 4度目のグレー訪問で、約14ヶ月間滞在した浅井はグレーで、屋外での写生を日課とする。自然観察で得た題材をアトリエで構成し、多くの作品を描く。
田園B 瑛九 光の玉のような無数の細かい点が画面を覆い尽くしている。この作品は、月、星、太陽が、ふるさと宮崎の田園に映じて輝いている心象風景を描き出したものである。当館は、宮崎市出身の画家、瑛九を中心に地元出身の作家や国内外のすぐれた作品を収蔵・紹介する。
〒880-0031 宮崎市船塚3-210 県総合文化公園内
TEL:0985-20-3792
限りない願望と限りある無常が交差する鎌倉末から南北朝期、卜部氏の流れの神職の家に生まれ、仏教修行し、和歌に精進した兼好。「人のけしきも夜のほかげぞ、よきはよく」、「にほひもものの音も、ただ夜ぞひときわめでたき」、「まどひの上に酔へり、酔の中に夢をなす」。所在なくつれづれに、願望と無常の境を説明する。
吉田兼好 岩波文庫
Tags : 宮崎県美術館都城市立美術館
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